ミニバスネット

ミニバス・クラブチームの保護者向け情報サイト

楽しめるバスケットボールを子どもたちに。

BASKETBALL to ENJOY for GARLS and BOYS.

バスケットボールプレイヤー伝記①

Vol.2 輝かしい実績の裏にあったプロの洗礼を受けるマイケル・ジョーダン➕名言集 その2

栄光への道とプロの洗礼

ジョーダンは早くもルーキーイヤーからレギュラーの座をつかみ、平均得点はリーグでもトップレベルの28.2点を記録しました。2年目は不運にもケガによりシーズンの多くを欠場したので22.7点。そして3年目にはその卓越した才能とバスケットボールセンスを完全に開花させ、リーグトップの1試合平均37.1点、シーズン総得点は3,000点を超えるという偉業を達成しました。

得点能力だけではなく、空中でのボディコントロールには抜群のセンスを観客に見せることで若手ながらNBA屈指のスタープレイヤーとなり、シカゴ・ブルズが遠征で訪れるゲームは多くの観客を集め、ホームゲームのチケットは入手が困難になるという現象が起きました。

しかし、当時のシカゴ・ブルズは強豪チームとはほど遠く、シカゴ・ブルズを「ジョーダンとその他4名」とさえ揶揄する記者やファンもいたこともあり、ジョーダンがシカゴ・ブルズでは突出したプレイヤーであったことが分かります。

当初のジョーダンは高価なアクセサリーを身に付けて試合することがあり、先輩プレイヤーたちには生意気な新人と見られることがありました。1985年には新人ながらオールスター戦出場を果たしますが、この試合でジョーダンは味方選手からパスを回してもらえない「フリーズ・アウト」というプロの洗礼を受けます。のちにジョーダンはこの経験に深く傷ついたと語っています。

ピストンズの壁

1980年代後半には、イースタン・カンファレンスを支配していたボストン・セルティックスが徐々に衰退し始め、デトロイト・ピストンズが活躍するようになります。シカゴ・ブルズもまた年間50勝できるチームにまで成長していました。

1987年にはシカゴ・ブルズは毎年プレーオフでピストンズと対戦するようになります。当時のピストンズは、荒いディフェンスでバッドボーイズと呼ばれていました。対戦する度にジョーダン・ルールと呼ばれる方法でジョーダンのオフェンスを封じ、マイケル・ジョーダンを痛めつけ敗退させていました。これはインサイドに切り込んだジョーダンを数人がかりで抑え込むもので、精神的・肉体的にジョーダンを苦しめていました。

バスケットスタイルを変えてからのスリーピート
1990-91シーズンからはマイケル・ジョーダン自身もそれまでの個人主義のバスケットスタイルを変え、他のチームメートと分かち合う場面が以前より見られるようになりました。このシーズンのチームの勝ち数は過去最高だったにもかかわらず、ジョーダンの平均得点は過去数年で最低の31.5点でした。それだけチームメイトへの信頼を寄せた証となりました。

プレーオフでは、カンファレンス・ファイナルでピストンズと4年連続の対戦。これまでの雪辱を果たし、NBAファイナルではマジック・ジョンソンのロサンゼルス・レイカーズが相手となりました。新旧スーパースター対決となったこのシリーズを、シカゴ・ブルズは4勝1敗で勝利し、初優勝を決め、ジョーダンはファイナルMVPを受賞しました。

翌シーズン、シカゴ・ブルズはリーグ史上屈指の67勝を果たしました。再びNBAファイナルに進出したシカゴ・ブルズは、ポートランド・トレイルブレイザーズと対戦。マイケル・ジョーダンは目覚ましいパフォーマンスを見せ、4勝2敗で2年連続の優勝を実現しました。ブ

1992-93シーズンは、ブルズは57勝と前シーズンより10勝減らしましたが、プレーオフでは再びNBAファイナルに進出。ウェスタン・カンファレンスを制したのはフェニックス・サンズ。シリーズは敵地での6試合目を制したブルズが勝利し、3度目の優勝を決めた。このシリーズで平均41得点(NBAファイナル歴代最高)をあげたジョーダンはMVPに選ばれました。

3連覇を意味する「スリーピート」を成し遂げたのはNBAのチームでは1960年代のボストン・セルティックス以来のことでした。

一度目の引退と父の死

3連覇達成後シーズンオフの1993年7月23日、不慮の事件によって父親を失ったマイケル・ジョーダンは、突如引退を表明しました。全盛期にあっての引退はNBAとメディアに衝撃を与え、1993年10月の引退表明の会見でジョーダンは「もはや証明するものはない」と述べたが、以前より続いていたバッシングや3連覇達成によるモチベーションの低下、父を失った衝撃が引退の動機になったとマスコミは推測しました。

マイケル・ジョーダンの名言集 その2
何かが起きることを期待する人がいて、願う人がいて、それやってのける人がいるんだ。
練習中だろうが本番の試合であろうが、僕は勝つためにプレイする。そして何物にも、僕と僕の勝利に対する情熱の邪魔はさせやしない。
人が弱点だと言う部分をついてきたら、僕はその弱点だと思い込まれているものを力に変えてみせるよ。
僕だって若い頃には、バスケットボールの基礎を学ばなければいけなかったんだ。この世で持ち得るあらゆる身体的才能を持って生まれたとしても、基礎を知ることを避けて通れないんだ。
 

Vol.3 シカゴ・ブルズへの復帰と2度目のスリーピートへ つづく

コメントはこちらへ 

当サイトにてコメント内容を確認後の表示となります

*
*
* (公開されません)

Return Top