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バスケットボールプレイヤー伝記①

Vol.1 バスケットボールの神様「マイケル・ジョーダン」の実績と名言

バスケットボールをプレイした人のみならず世界中にその名を轟かせた人物といえば、バスケットボールの神様「マイケル・ジョーダン」。今の子ども達は知らない人もいるかもしれないのでここでおさらいしてみましょう。

マイケル・ジョーダン(本名:マイケル・ジェフリー・ジョーダン Michael Jeffrey Jordan)は 1963年2月17日に電気技術者のジェームズ・ジョーダンと銀行員勤めのデロリス夫妻の三男として、ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区で生まれました。

15年間という現役期間で得点王をなんと10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位。世界トップリーグの戦績としては華々しい実績を収めました。1990年代にシカゴ・ブルズの中心プレイヤーとして6回の優勝に導き、5回のシーズンMVP、6回のNBAファイナルMVP受賞。また、1984年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表(ドリームチーム)の一員として2度にわたり金メダルを獲得しました。このオリンピックを機に今までバスケットボールに興味が無かった人たちが「マイケル ジョーダン」の名前を知った人も多いと思います。現役時代の背番号23はシカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ノースカロライナ大学の永久欠番となりました。1996年、NBA50周年を記念したNBA50周年記念オールタイムチームの一人に選出され、2009年にはバスケットボール殿堂入りを果たしました。

現役引退後は、2010年にNBAチームであるシャーロット・ボブキャッツ(現・シャーロット・ホーネッツ)を買収し、現在は実業家として同チームの筆頭オーナーを務めています。

ポジションと得点力

ポジションはシューティングガードを務めていたが、ポイントガードやスモールフォワードでも難なくプレイできるオールラウンダーでした。インサイドでは華麗なステップやムーヴから生み出すダンクが観客を魅了し、独創的なステップから繰り出すレイアップは多くのバスケキッズ達が真似をし、アウトサイドでは綺麗で柔らかなフォームからロングシュートを放つなど、幅広いオフェンススキルを駆使して得点を量産しました。

トレードマークは『Air』といわれる豪快なダンク、空中で体勢を変えてディフェンダーをかわすダブルクラッチなど、当時は他の選手が真似するのが難しいといわれた空中でのプレイが多くありました。

一方でロングシュートを担うシューティングガードでありながら、スリーポイント試投数・成功数は多くありませんでした。成功数が100本を超えたのは2シーズンのみで、名シューターと謳われる選手のほとんどがキャリアで1,000本以上を記録する昨今において、ジョーダンの通算成功数は581本と決して多くはありません。

メインゲームでの実績

メインゲームと言われる特に注目されたゲームでの驚異的な勝負強さもジョーダンの特徴のひとつでした。プレイオフの緊迫した接戦での活躍は数々の名場面を生み出し、その度に勝利を勝ち取る姿はファンを魅了し、多くの人たちが記憶に残ることとなりました。体調不良の中でも、フラフラになりながらチームを勝利に導いたり、ディフェンスの徹底マークからも闘志をむき出してプレイしたり、まさに勝負の鬼とも言える活躍が多くありました。

ディフェンダーとして

オフェンスでは卓越していたジョーダン。それに加えリーグ屈指の優秀なディフェンダーでもありました。1988年以降は、9回オールNBAディフェンシブ1stチームに選出されています。1988年にはシーズンMVPと最優秀守備選手を同時受賞し、最も目立つのはキャリア通算2514スティールで、これは当時のNBA史上ではジョン・ストックトンに次ぐ歴代2位(現在はジェイソン・キッドに更新され3位:2018年)、1試合平均で2.35スティールは(クリス・ポールに更新されたが)歴代5位の記録です。キャリア初期では、その跳躍力に物を言わせてガードとしては異例の1試合平均1本以上のブロックショットを記録していた。「ジョーダンのディフェンス能力はオフェンス以上に強烈だった」と言われていました。リバウンドでも1試合平均で6.2本と、同ポジションとしては非常に高い数字を残しています。

少年時代からのジョーダン

少年時代の多くを生まれたすぐに引っ越したノースカロライナ州ウィルミントンで過ごしました。少年時代には兄にバスケットボールの手ほどきを受けますが、兄にはなかなか勝てなかったといいます。他にも野球やアメリカンフットボールもプレーしていました。地元のE・A・レイニー高校に入学しましたが、レベル不足で学校のバスケットボールチームに入れなかったエピソードは多く知られています。この挫折を乗り越えたジョーダンは1年後にはチーム入りを果たし、注目を集める選手に成長しました。

高校卒業後はノースカロライナ大学(UNC)に進学し、地理学を専攻。後に伝説のショットとして多くのファンで語り継がれている1982年のNCAAトーナメントチャンピオンシップでジョーダンはウィニング・ショットを決め、同校2度目のNCAAチャンピオンに導きました。2年次に彼はチームの主要メンバーとなり、その年に彼は全米ジュニア選抜に選ばれました。3年次の時にはネイスミス賞とウッデン賞を受賞。

この年のシーズン終了後、当時のヘッドコーチの薦めもありNBA入りを決意。1984年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに全体3位で指名されました。大学を休学した後の夏にアメリカ代表としてロサンゼルスオリンピックに参加して金メダル獲得に貢献しました。

マイケル・ジョーダンの名言集 その1
10本連続でシュートを外しても僕はためらわない。次の1本が成功すれば、それは100本連続で成功する最初の1本目かもしれないだろう
失敗をすることは耐えられるが、挑戦しないでいることは耐えられないんだ。
才能があれば試合に勝つことはできる、だがチームワークと知性は優勝へと導くんだ。
成功したいと思うなら自己中心的でなければいけない。だがもし最高のレベルに達したなら、自己中心的であってはいけない。他人とうまく付き合い、一人になってはならないんだ。
限界とはほとんど幻に過ぎない。
マイケルジョーダンはかなりの強靭なメンタルとポジティブな考え方の持ち主だから言えた名言ですね。子ども達に伝えるときはなるべく噛み砕いた分かりやすい言葉に置き換えて教えてあげましょう。子ども達なりに理解してくれれば、次からの練習や試合で何か変わるかもしれませんよ。
 
 

Vol.2 プロの洗礼 シカゴブルズ時代へ つづく

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